自分が生きた証。
自分がこの肉体をもってどうしたいか。
思い出した。
わかったと言うよりかは思い出した。
何になりたいとかこれを作りたいとか色々ああだこうだ考えたり実践したりしてきたけれど、根本にあるのはこの世に自分が生きたという証を残したい。
僕の死後何年、何十年、何百年経っても僕が確かにこの時代に生きていたという証を残したい。
それをずっと忘れていた。
これからはこれが僕の生きる軸となって世界が進んでいく。
ありがとう。
何をするかよりも、どうしたいか、どうなりたいか。
どうせならみんなが笑顔になれるようなことを残したいな。
今日も貴重な命の時間を使って最後まで読んでいただきましてありがとうございます!
他人軸と自分軸。
僕は人の目がすごく気になる人です。
これ言ったらあの人はどう思うかな?
これ言ったらこの人はどう思うかな?
僕がこういう風に振る舞わないとあの人にとっては良くないとかこういう風に振る舞わないとこの人に嫌われるんじゃないかとか。
相手のことを思う気持ちはあったほうが良いんやけど、それがいき過ぎると全然自分を生きられなくなってしまうよね。
まずは自分がどうしたいか。
それから他人との照らし合わせをしよう。
自分の気持ちに蓋をして、自分の考えをかき消して、自分を大事にしなくなってしまうとどんどんどんどんしんどくなっていって、挙げ句の果てには周りを傷つけることになってしまう。
他人軸で生きるんじゃなくて、自分軸で生きよう。
それが自分の為にも周りの為にも良いんやってことに気付いた。
まず自分が溢れてないと、周りに注げない。
無いものを無理やり出すのってかなりしんどいよ。
自分が溢れていると周りに注げる。
するとその人も溢れる、そしてその人はまた別の人に注げる。
その人はまた別の人に、、、
そして循環が起こる。
愛の循環。
今日も貴重な命の時間を使って最後まで読んでいただきましてありがとうございます!
知らないことが多すぎる。
この世に生まれて今年で30年。
知らないことが多すぎる。
知らないことを知るのはとても楽しい、ワクワクする。
知らないことを知るのは怖い、ドキドキする。
目の前にいて目を合わせて話してるあなたのことでさえも知らないことだらけだ。
もちろん僕のこともあなたはそう思っているだろう。
好きになれば相手のことをもっと知りたいと思うのは自然な感情だろう。
しかし、全てを完璧に知るのは不可能だ。
ミッションインポッシブルだ。
好きだからこそ隠すこともあるだろう。
恥ずかしさから知られたくないこともあるだろう。
良いか悪いかわからないが、ヒトは嘘をつける。
嘘をつけるから嘘の良さもわかるし、純粋の素晴らしさもわかる。
僕はこの世に生まれて30年。
もっと知りたい。
あなたのことも僕のことももっと知りたい。
この世に存在する興味のあること気になることについて知りたい。
知らないことが多すぎる。
今日も貴重な命の時間を使って最後まで読んでいただきましてありがとうございます!
無駄なものなんて何もない。
無駄なものを無駄と思わない。なんてことはその時はまだ思わなくてもいい。
無駄やなぁと思った時は無駄やなぁと思えばいいし、その感情や感覚を大事にしたらいいと思う。
そして、その後何日後か何ヶ月後か何年後かわからないけど未来の自分があの時無駄やと思ってたけど無駄じゃなかったんやなぁって思えればそれでいいと思う。
全てのことは無駄じゃないんだ!って言い聞かせて気張って自分の感情に嘘をつくよりも、こんなもんなんの役に立つねん!まじ無駄やんこんな時間!って思うならそう思えばいいと思う。
無駄も良いやん!って気持ちが芽生えて来たり徐々に無駄なことも無駄じゃないんやなぁって自分の中でそうゆう流れになっていくと、そのうち自然に全てのことは無駄じゃないんやなぁって納得出来るようになると思う。
そうやって納得出来るようになったら、無駄なものを無駄と思わないとゆうか無駄なものなんて何もないんやなぁって思える。
無理な締め付けで考え方を固めるより、自然な流れで考え方を確立していくほうが面白い。
風や水の力で変わる地形のように。
今日も命の貴重な時間を使って最後まで読んでいただきましてありがとうございます!
自分の中の違和感をほったらかしにしない。
自分の中に違和感が生まれた時、無視したり見逃したりほったらかしにしたりしない。
相手を優先に考えて、相手に合わせて、自分の中の違和感をほったらかしにしていると、どんどん自分が自分じゃなくなっていく。
相手に優しくするのと相手のことを考えてあげるのはセットの時もあれば、セットじゃない時もある。
自分が自分に寄り添わずに優しく出来てないのに相手に寄り添って優しくするとどんどん自分が無くなっていく。
違和感を感じたら、それが自分と世間とのギャップ。
そこを埋めるのか、突き抜けるのかは自分の自由。
そう自由なのだ。
それならばと思いっきり自分を突き抜けるもあり、逆に世間とのギャップを埋めるもあり。
どんな自分でも良い。
どんな自分も自分。
周りと違うからって悲嘆したり恐れることはないよ。
違うってことはそれだけ可能性があるってこと。
そしてみんな違ってみんな良い。
自分を責めたり自分を卑下する暇があったら、自分の可能性を磨いていこう。
今日も貴重な命の時間を使って最後まで読んでいただきましてありがとうございます!
自分の中の愛が溢れてると。
今確かに言えることは自分の中の愛が溢れているということ。
川の上流も上流の出発点ぐらいのちょろちょろ具合かもしれないけれど、確かに溢れている。
これは僕自身がどうこうとか言うより周りの方々に注いでもらった愛を素直に受け取れるようになってきたからなのかもしれない。
この世は本当は愛で溢れている。
国や人種や文化、肌の色が違っても、宗教が違っても本来は〝人間〟という1つの生き物なのだ。
地球に住む生命。
過去に何があったとかは確かにあるけれど、もうよくない?
地球という星に住み着いてからどれほどの年月が経ったかわからないけど、争いが争いを生み、そしてさらに争いを生む。
もうよくない?
もう争いの果てに平和なんて無いのは周知の事実でしょ。
もう争いの先に希望を持つなんてこと諦めようよ。
争いがお金になるなんてくだらない幻想にいい加減気付こうよ。
争いが生むのは絶望と後悔、そして多くの犠牲者。
本音を言えば誰も争いなんてしたくない。
でも坂道を転げ落ちたこの〝争い〟という名の大きな球体は中に入っている限り止められない。
勇気を持って外に飛び出し坂道の下に立ち猛然とタックルをかますしかないんだ。
この球体はとてつもなく大きい。
1人では吹っ飛ばされるだろう。
中の人がたくさん降りて手伝ってくれればその勢いを止められるはず。
そしてみんなで担ぎ上げて大玉運びでもしようじゃないか。
今日も貴重な命の時間を使って最後まで読んでいただきましてありがとうございます!
波のまにまに。
ほんとに今年に入ってから色んなことが変わっていった。
それは自らが望んだのもあるし、きっと今の流れがそうゆう流れなのもあるのかもしれない。
もはや以前の自分が遠い過去のような、大袈裟かもしれないしRADWIMPSの歌じゃないが前前前世のような気もする。
しかし、過去も今も未来も全部自分であってどれも良いんだなと。
どんな自分も全力だし、その時一生懸命悩んで考えて出した答えがたとえ逃げていたとしてもいい。
それがその時のベストなんだ。
そして、ほんとに出逢う方々に恵まれているなぁと。
つくづく思うわけです。
逢いたい人が多すぎて逢える人には逢えるようにしてるんやけどなかなか追いつかないのです。
すぐに逢える人も、なかなか逢えない人も、しょっちゅう逢ってる人も、しばらく逢ってない人もいるけれど。
出逢うべく人には出逢うべき時に出逢う。
離れるときは離れる。
それもまたムスビ。
逢いたい人に逢えて共に過ごせてる時はほんとに涙が出そうなぐらい幸せなんだ。
そんな幸せを噛み締めて僕は明日を迎える。
今日も貴重な命の時間を使って最後まで読んでいただきましてありがとうございます!