ヒトについて知りたくて。
僕の探究心のベクトルは今〝ヒトについて〟に向いています。
日々色んな疑問を抱いて生きているんですが、そもそもヒトについて全然知らないやと気付きまして、人類について学びたいと思いました。
そんなこんなで思い立ったは良いものの、何から勉強したらいいねん!って1人でツッコミを入れてまして(結局何からでも良いんやろうけど)ウダウダしてたところ、ちょうどテレビでサピエンス全史という本があると知り、早速買ってみました。
サピエンス全史 単行本 (上)(下)セット https://www.amazon.co.jp/dp/B071NVR71M/ref=cm_sw_r_oth_api_HZ3rzbFGD12ES
まだ読んでる途中なのですが、めちゃくちゃ面白くてわかりやすくてもっともっとヒトについて探求したくなっちゃいました。
なぜ人類はホモ・サピエンスただ一種しか生き残っていないのかとか、これからの人類はどうなっていくのかとか、もうワクワクしかしない!
ヒトとしての根っこやと思う人類学を勉強してそこから繋げていきたいと思います。
てゆうか繋がってるんやと思うけど。
今日も命の貴重な時間を使って最後まで読んでいただきましてありがとうございます!
虚しさのその先に。
今日は眠り続けた。
まるで死んだかのように眠り続けた。
2、3日ぐらい前から激しい虚しさに襲われた。
これは前兆だったのかもしれない。
自己破壊だなんだと言い張っていたが、全然自己破壊なんてしていなかった。
創造の上に破壊してるつもりの創造を重ねていたに過ぎなかった。
破壊もどきすらも破壊する。
今までの自分を創ってきた概念や考えを。
破壊する。
甘えは持ち込まない。
1回死んで生まれ変わるぐらいの気持ちで。
誰がどう見ても、あれ?って思うほどの自己破壊。
そうでもしないとそれぐらいしないと、この虚しさはいつまでも付き纏ってくる。
この虚しさを越えた先に。
何があるかはわからないけれど。
もう自分を繕ったり創造の上に創造を重ねるのはしない。
自分の嫌なところも出す。
こんな人間なんですって出す。
明るい色だけで繕うことで創り上げられた自分は自分ではない。
明るい色も暗い色も全部ひっくるめて自分だ。
自分に嘘をつくことが自分を自分じゃなくしているのなら、やめたほうがいい。
今日も命の貴重な時間を使って最後まで読んでいただきましてありがとうございます!
隙間、間、余白。
隙間、間、余白。
余裕があるとは、これらがあることを受け入れて楽しむことなのかなと。
スケジュール帳に余白があると焦ったり、何にもない時間があると何かしなきゃと無理矢理予定を詰め込んだり、友達でも恋人でも2人で会ってる時に沈黙が気まずくて永遠に話して疲れてしまったり。
僕も経験のあることばかりなのですが、やっぱり無理するのも限度があってやり過ぎると疲れ果ててしまうんですよね。
スケジュール帳に余白があっても焦ることないし、何もない時間は休んでも良いし何か作っても良いし外に出かけても良いし、2人で会ってても沈黙があっても良いしそんな空間も楽しめたらお互い楽なのかなと。
何よりも最近感じたのは、こんな風に余裕がある状態でいると、感謝の幅が広がっていく感覚になってきたなぁと。
同時に、音楽をはじめとする芸術は人々の生活に隙間を作り、余白を残し、間を作ってるのではないかと思いました。
芸術で世界を変えるとか世界を救うとか大それたこと言うてもよくわからないけれど。
芸術で人々の心に余白を作れたら良いなぁと。
その人々の心の余白が感謝の拡大に繋がって、結果的に世界が変わったり世界が平和になったほうが僕は嬉しい。
今日も命の貴重な時間を使って最後まで読んでいただきましてありがとうございます!
こどものえがお。
こどもの近くで働いていると教えてもらうことがたくさんある。
今日はそんなこども先生からの学びを。
笑顔。
えがお。
モヤモヤしてる時や疲れてる時は人間誰しも表情が曇りがちになる。
決して無理して笑顔になれというのではなく、心の状態を整えるのは大切なんだなと。
こどもが自分の鏡になったかのように反応が変わるのだと気付きました。
こどものみんながみんなそうではないけれど、笑いかけると笑ってくれます。
微笑ぐらいだと笑ってくれない子もいます。
全力で歯を見せて笑いかけると全力で笑い返してくれます。
それも自分の心が伴っていないとぎこちない笑顔になってしまいます。
そうするとこどもは微妙な顔をします笑
僕は特に顔に出やすいからそうなのかもしれませんが笑
なので、全力で笑いかけれるように自分の心はなるべく常に整えておきたいなと心掛けています。
今日も命の貴重な時間を使って最後まで読んでいただきましてありがとうございます!
在り方。
過去の自分は方法にばかり囚われていた。
何々をしなきゃ!とか何をすればいいかとか。
そんなことばかり考えていた。
BeingとDoing。
在り方を意識するようになってからやること(方法)には意識が向かなくなった。
自分のブレない軸さえあれば、方法は何でも良いんやなと思うようになった。
自己表現。
忍者をする、歌を歌う、歌詞を書く、楽器を弾く、絵を描く、何かを作る、服で自分を表現する、被写体になる、ブログを書く、、、
方法は挙げればキリがないけれど、今はそこにこだわりはほとんどない。
僕が僕を生きる上で方法は何でも良いんやなと。
あいぼんさんが言っていた。
BeingとDoingを木に見立てると、Beingが幹でDoingが枝葉だと。
幹が大きく太くなっていくと自然と枝葉が広がっていく。
どう在るかという自分軸がしっかりすると、何をするといった方法が広がっていく。
とてもわかりやすい見立てでスッと腑に落ちた。
どう在るか。
僕という幹を育てていきたいと思う。
今日も命の貴重な時間を使って最後まで読んでいただきましてありがとうございます!
自分を車に見立てると。
最近の車はほとんどの場合ナビが付いている。
付いていなくても後付けで付けられたりするぐらいだ。
最近のナビは優秀で、現在地から目的地までの最短ルートを瞬時に判断して出してくれる。
また、走ってる途中でもあと何メートル先でどっちに曲がれば良いか教えてくれる。
たとえ道を間違えても、そこからのルートを再検索して教えてくれる。
マジ優秀。
何故そんなことが出来るのか。
まずは日本国内の地図が頭に入っているのはかなり大きい。
全体を把握しているから今この車がどこを走っているかわかるわけだ。
これは俯瞰して見るということに近いと思う。
そして、自分(車)の現在地をきちんと把握していること。
忘れがちだけど僕はこれが1番大事じゃないかなと思う。
自分の現在地がわかっていないと地図が頭に入っていても次にどっちに進めば目的地に近付くかがわからないからね。
だから目的地の設定も大事だけど、現在地の把握も大事なんじゃないかなと僕は思うわけです。
今日も命の貴重な時間を使って最後まで読んでいただきましてありがとうございます!
見返りを求めない。
自らの行動に対して何か見返りを期待したり求めたりしない。
こんだけやってるんだからちょっとは、、ねえ?ってならないようにする。
そう思うようなことなら極力やらないようにする。
出来るだけご機嫌でその行動自体が楽しい!って思えるものに全力を注ぐ。
心の底から応援したい!って思う人を応援するようにする。
そこに見返りを求める気持ちなんてないはずだから。
反応を気にしない。
これは見返りを求めないのと似てるんだけど、見返りを求めないと同様に自分がしたことやすることに対する反応を気にしないし期待しない。
ただ自分のやることをやる。
見返りや反応を期待すると自分のやることにブレが出てくる。
もう少しこうしたら何か返ってくるんじゃね?とか、もう少しこうしたらもっとでっかい反応があるんじゃね?とか。
そういうのは気にしだすとキリがないから。
まずはただ自分のやることをやる。
やっていくうちに自然とやらなければいけないことが溢れてくるから、そうなったらそれをただやる。
そんな集中力が必要な時もあるのではないかと自分に言い聞かせているわけです。
今回も命の貴重な時間を使って最後まで読んでいただきましてありがとうございます!