僕のいない世界。
きっといつかはいなくなる。
それは命あるものすべてに与えられた平等な事実。
最近SNS上でばたやんさんがいなくなった。
でもばたやんを探せという素晴らしい遺産を残して確かに今も存在している。
それを目の当たりにしてより一層考えるようになったのは僕がいなくなった世界はどうなってるんだろう?ということ。
まあ直接見れるわけもないし、『わからない』で済む話なんだけど、すごく気になる部分なのです。
僕が生まれる前には僕のいない世界があって、僕が死んでからは僕のいない世界が続く。
生まれる前は僕の影響なんてこれっぽっちも無いわけなんだけど、死んだ後は僕に関わった人たちが思い出して語り合ってくれる間は僕のいない世界ではなく、僕のいる世界になる。
生きてる間にそれを見ることが出来るばたやんさんの試みが面白いなぁと思っている。
僕のいない世界のことはわからないけれど、僕がいる世界に僕がいる間は出来る限り深く繋がりたいと思う。
話の内容とかそういうのはなんでもいい。
しょうもないことを言い合うのも楽しいし、深い話をするのも楽しいし、ほんとになんでもいい。
ただその場を共有出来て、お互いの心に何か少しでも刻まれたら面白い。
僕のいる世界でも僕のいない世界がある。
それが僕のいないところで僕のことを思い出して話してくれたりする時なんじゃないかと思う。
飲み会の酒の肴に少しでも思い出して会いたいなんて思われた日には涙が出るほど嬉しいんだ。
人は物理的に生きた年数が生きた時間じゃない。
物理的に死んでも思い出す人がいるだけで生きた時間は延びていく。
生き生きと生きよう。
死んでも生き生き生きよう。