チルと侘び寂びと暮らしと芸術。
はじめに
チルという概念と出会ってから心のゆとりと身体の健康がだいぶ落ち着いたので、今ではかなりのチル推しになっています。
もちろん人それぞれ合う合わないがあると思うので、ぼくの場合はめちゃくちゃ自分に合ったんだという前提で書いていきます。
目次
チルとは
チルと出会ったきっかけ
ぼくがチルと出会ったきっかけはこのブログでもしょっちゅう名前の出ているアーティストのオンラインサロン『みんな表現者』の代表織田尭(おだっち)のブログがきっかけでした。
ブログにたどり着いたのは、アーティストでもアートでもチルでもなくオーストラリアの記事でした。
2年以上前のぼくはオーストラリアに行きたくて行きたくて震えていたわけなんですが笑
ブログタイトルもさることながら、かなり面白い記事やなあと思って読んでました。
↓こんなんとか↓
↑こんなんを読んでました↑
当時のぼくは対人関係に今よりもなぜかアグレッシブだったので、おだっちのLINE@に登録したりFacebook申請もしたような気がします。
そんな中で読むことになった記事がおだっちがオーストラリアに画家旅に行った時に現地の人から教えてもらったチルという概念です。
↓これね↓
ようやくここでチルというものを知るわけなんですが、記事を読んでいて初めて聞く言葉なはずなのにどこか懐かしいような、もうすでに知っている感覚のようなものを感じました。
はい、それが『侘び寂び』です。
チルと侘び寂び
ぼくは大学は外国語系の学部にいたのですが、日本文科系の授業を受けていたこともありまして、そのうちの一つに千利休の侘び寂びの授業がありました。
教授が書いた本を教科書のようにしたその授業は当時外国語にまみれていたぼくにとっては新鮮で、面白かったのを覚えています。
その中でも茶道のお話の時に、茶室の周辺に落ち葉が落ちている時に綺麗に全部掃除をするのではなくてあえて落ち葉を残してそれを風流として楽しむ(このような話だったと思います)というのを覚えていて、チルという余白を作ることによって奇跡の入る隙間を作るっていうところと合ってるなあと感じました。
日本とオーストラリアで日本語と英語という違う国の違う言葉だけど、ニュアンスが似ているってすごいことだなと思ってこれは本質に近いんじゃないかということですんなり取り入れられたのかなと思います。
他にも北欧のほうにはヒュッゲという同じようなニュアンスの言葉があります。
ヒュッゲに関しては本屋さんにも何作品か本が並んでいるので、気になる方は手にとってみてください。
暮らしにチル
チルを暮らしに取り入れてみた
チルを暮らしに取り入れるにあたってぼくがまず初めにしたことは何もしないをすること 。
月に2回ぐらいしか休みを取ってなかった時期もあるぐらい働きまくっていたぼくですが、そんな生活をしていると体調を崩すことが多くなっていました。
元々子供の頃から身体が強い方ではなかったので、風邪を引いたりすることには慣れてはいたんですが、それとは違う底知れぬヤバさを感じてはいました。
その当時プライベートでも仕事でも心も体も余裕がなかったぼくでしたので、圧倒的に今よりも笑顔が少なかったし心から笑えていたかと言われるとどうだったのか記憶もないぐらい余裕がありませんでした。
そんな中に出会ったチルという余白を楽しむ概念。
最初は戸惑いましたし、なんやかんやで仕事を入れてしまったり予定を入れてしまって余白を作ると意識をしてもなかなか定着させるのに時間がかかりました。
ようやくここ1年ぐらいで仕事を休めるようになったり、何もない日を作ることに抵抗がなくなってきました。
すると、心にも体にも余裕が生まれて以前に比べるとよく笑うようにもなり、日々の記憶も残るようになりました。
HSPとチル
ぼくはHSPという気質を持っているらしいのですが、その気質にもチルという概念がうまくハマったように思っています。
↓HSPとチルについてはこちらの記事にも少し書いているので気になる方はぜひ↓
芸術にチル
チルを芸術に取り入れてみた
ぼくは高校2年生の頃から自分で作詞をしたものを友達に見てもらったりして楽しんでいたわけなのですが、大人になってからというもの自分を表現することに苦しみを覚えていました。
何かを作る上で本来なら意識しなくてもいいものを意識せざるを得ないような状況にあったりしたのも原因の一つかなと今では思うのですが、なんにせよいつしかぼくはあんなに好きだった作詞が全く書けないまでになってしまいました。
さらにはあんなに好きだった本を読むこともできない、音楽を聴くことも苦しい、映画も観れない、テレビも観れない、YouTubeの動画すら観れない。
そんな状態にまでになったことがありました。
今思えば圧倒的な心の余白不足。
いろんなことが重なり、心の中にあらゆる色や音などの情報が溢れに溢れてパンクしそうになっていたのかもしれません。
チルと出会う数ヶ月前に筆文字で言葉を贈る言葉贈り人の活動を始めたのも何かのきっかけだったとは思うのですが、その流れでチルという概念に出会い余白を作ることの大切さを身をもって感じたことで今こうしてまた芸術と携わることが出来ているのだと思っています。
余白を作ることの大切さ
何かを作る上で余白というものが大切なのは何かを作られている方々はなんとなく共感していただけるかと思いますが、本当に大切だと思っています。
その余白というものの中には物理的な余白もあれば、精神的な余白もあると思います。
チルは精神的な余白を生み出すことによって物理的な余白も生み出せるようになるといった感覚でぼく自身は解釈しています。
多かれ少なかれ精神面は作品に影響すると思っています。
なので、まずはそこを自分自身が受け入れて認めること、そしてどうするかを判断していく。
ぼくの場合は余白を作ることが自分にとって良い方に作用するかなと思ったので取り入れてみました。
それぞれに合った方法があると思いますので、一つの参考になるといいなと思います。
最後に
チルは一つの概念として存在しており、世界中に似たような概念が存在するということ。
様々な状況にも応用できるので、それぞれで合いそうなところで取り入れてもらえれば何か変化があると思います。
最後まで見ていただきましてありがとうございます。
色波
HSP気質のぼくの日常。
●HSPとは
HSP(Highly sensitive person)ハイリー・センシティブ・パーソン
日本では敏感な人、繊細な人と呼ばれています。
●HSPを知ったきっかけ
ぼく自身もHSPという気質が存在することは、ごくごく最近(と言ってもここ1、2年の話)知りました。
知ったきっかけは表現者のオンラインサロン『みんな表現者』のメンバーでもある、やわてぃさんから存在を教えてもらいました。
今思えばその少し前から本屋さん(本屋さんが好きです)でHSPに関する本は目にしていました。
HSPという気質を知ってから改めて本を読んでみると、エレイン・N・アーロン博士が定義するHSPのチェック項目みたいなのがありまして、やってみるとまさにHSPという結果が出ました。
さらにぼくの場合は5人に1人と言われているHSPの中でもさらに30%の割合とされている全体で言うと6%の割合のHSPHSSということがわかりました。
●HSPは気質である
誤解のないように先に書いておくと、HSPは生まれ持った気質なので、病気でもないですし性格によって違うこともあるので、HSPだからこうなんだ!っていうのは伝えたい意図からは少しズレてしまいます。
●HSP気質のぼくの日常
今回はHSP気質のぼくが普段の日常で行なっていることを少しづつ書いていきたいと思います。
電車など移動の際
・マスクをする
・イヤホンで音楽を聴く
仕事の休憩中
・5分でも目を閉じる時間を作る
・1人の空間を作る
働き方
・なるべく休みを意図的に入れる
上記のようなことをする理由
・HSPは敏感な人や繊細な人と呼ばれているように情報に対して敏感な人が多いです。
なので、あえて意図的に情報を遮断することによって刺激を和らげることに繋がります。
また、ぼくの場合はですがマスクもしなければイヤホンをしない日もあります。
それは自分に余裕があって情報を取り入れても大丈夫と判断した時(こういう風に文章うにすると固くなりますが単なる気分の時が多いです笑)は外の空気を空いたなー、イヤホンから流れる音楽じゃなくて街の音が聴きたいなーって心が思った時には装備を外します。
・休みを意図的に作ったり、1人の空間を作ったり、5分だけでも目を閉じるということも自分の中に情報を溢れさせないようにしたり、余白を作るという意図があります。
●チルとの出会いとHSPとの関連
チルとの出会い
チルとはザックリ言うと、なにもしないことをすること。
なにもしないことによって生まれる余白に何か奇跡が入り込む余地があるという考え方。
ぼくはチルに出会うまではとにかくスケジュール帳に空白を作るのが嫌で、とにかく予定を入れまくっていました。
そして年に何回か大きく体調を崩し、強制的に休まされるということを繰り返していました。
そんな中、高校時代に行ったオーストラリアにもう一度行きたいなあと思っていた時に、表現者のオンラインサロン『みんな表現者』の創設者で代表のおだっちのブログに
辿り着き、オーストラリアの記事を読んでいるうちにチルについて書かれた記事に行き着きました。
チルという考え方がスッと自分の中に入ってきて、これを取り入れてみよう!と素直に思えました。
まずは休みを取ること、仕事、仕事、仕事で働きづめだった当時のぼくにとって休むということは、なぜか怖いものになっていました。
でもそこをあえて休むことでどうなるのかという興味の方が上回ったので、実践してみることに。
ひどい時だと月に2回ぐらいしか休みがなかったぼくは、まず週1回は絶対休もうと決意して、意図的に休みを入れるようにしました。
ぼくは手書きのスケジュール帳を使っているのですが、まず予定を入れる前に休む予定を入れることにしました。
そうでもしないと休まなかったので笑
すると、頻繁に体を壊していたのが少しマシになってきました。
心にも余裕ができて、クリエイティブなことも徐々にできるようになってきました。
そして、ここ半年ぐらいは週2回は休みを取るようにしています。
圧倒的に心も体も余裕が生まれて、休みを取っていなかった時に比べてもアクティブになってきているのを実感しています。
HSPとの関連
先ほども上の方で書いたように刺激を受けやすいHSPという気質は適度に休みが必要です。
ぼくはチルと出会って意図的に休みを取り出した時はHSPというものを知りませんでしたが、今となって思うのはチルというものがぼくの気質にマッチしたのは確かであって休むことでうまく刺激を和らげることができたのかなと思っています。
まとめ
HSPに関してはまだまだ勉強不足で、Twitterやブログで発信をされている方の文章を読んだり、オンラインでお話をしたり、出版されている本を読んだりして少しづつ理解を深めていけたらなと思っています。
HSPという気質で一括りにすると何か窮屈な感じもしますが、似たような経験や感覚、感じ方を共有したり、発展的に話し合える人が増えていろんな気質の人がいるんだなということが広がっていけばいいなと思っています。
HSPに限らず、一人一人に備わっている〝違い〟が認め合える世の中になると良いなと思いつつ日々を過ごしています。
長い文章を最後までご覧いただきましてありがとうございます。
おもしろきこともなき世をおもしろく。
派閥とか人間関係のことを考えるの嫌なのに、生きていく上ではそういうものに直面することが多い。
あの人のことが苦手とか嫌いとかここが気に食わないとか、直接本人同士が言い合えばいいのに。
それができないならそっと離れていけばいい。
あなたが嫌いな人は誰かにとっては好きな人かもしれない。
あなたが好きな人は誰かにとっては嫌いな人かもしれない。
100人いたら100通りの性格があるように、100人いたら100通りの人生がある。
だから他人を変えること、コントロールすることなんて出来ない。
100%共感する必要もないし、おかしいって思うところはおかしいって言っていいと思う。
そこに年齢差も性別差も、もちろん国籍なんて関係ない。
1人の人間として接するんだ。
受け入れられるところは受け入れる。
受け入れられないものでも受け入れようと努力する。
それでも無理ならその部分は分かり合えない。
みんなそれぞれ良いところもあれば良くないところも持ち合わせている。
それでこそ人間なんだと思う。
肯定も否定もしない。
ただ、その人を認めるってこと。
これからはさらに意識していこうと思う。
やっぱり人と話すのって面白いなあ。
お話する機会があって、とてもとてもありがたいと思う。
なんのためにそれをするのか。
少し前ぐらいから物事の向こう側、見えていることの奥側を想像するようにしています。
目に見えることはすごくシンプルに情報が入ってきて思わずそれに影響されてしまいますが、果たして本当に見えていることだけがすべてなのだろうか。
そう考えたときにぼくの答えは見えないものにこそ本質が眠っているのではないかと思いました。
見えないものと言っても霊的なことやスピリチュアル的なことだけではありません。
相手のことを想像すること、思いやること、先を想像すること。
これらは目に見えないものを感じて読み取っていくことだと思うのです。
上手くやろうとしなくても良いのです。
少し、ほんの少しでいいから何か行動するときや発言するときにぽわっと意識する。
それだけでこの世界はやさしいものになると思う。
考えすぎるのは行動を止めてしまうので、行動とほぼ同時ぐらいに考えるぐらいでもいいのかもしれません。
ぼくはよく考えすぎてしまって、行動することができなかったりするのですが、やはり行動の後には何よりも強烈な学びがあります。
行動と思考。
このふたつを織り交ぜながら、どんどん変容していく自分を楽しむ。
変化を面白がれるって素敵なことだと思います。
人間は変化を恐れるようにできているみたいです。
それは生命を維持するためとも、外敵から身を守るためとも言われています。
でも、今の時代は人間自身が『変化』というものを作り出しています。
そんな中、いつまでも変化を恐れていると逆にストレスを感じたり不調になったりすることもあります。
そこから一歩踏み出すためにも、行動と思考は大事な武器になるのではないかとぼくは思います。
人間が人間たらしめるものは、やはり知性、思考、脳。
それを燻らせずに最大限に生かし、やさしい世界が広がることを切に願っています。
ぼくが芸術の世界に身を置いているのは、高校生の時に初めて拙いながらも作詞をし始めた時に自らの手によって自由に世界を作り出すことが出来ることへの感動がきっかけです。
このことは最近まですっかり忘れていましたが、今は確かにあの頃の感動を思い出すことができます。
思考は自由だ。
その自由な思考から生み出される作品たち。
そこには現実世界のルールもしがらみもなにもない。
そしていつしかぼくは作品を作ることが出来なくなりました。
今となってははっきり原因はわかっていて、現実世界が激しくぼくの中に入り込んできて、自由を奪い続けていたんです。
あんなに自由だった世界がいつの日からか現実世界に支配されて思うようなものが出せなくなってしまった。
それが、ぼくの未熟さなのかなんなのかはわかりませんが。。
あれから数年が経ち、今だに表現の世界に身を置き続けているぼくは、あの頃の感覚を取り戻しつつ、これまでの経験を混ぜこぜにしながら新しい世界を作っていこうと思えるまでになりました。
いつまで続くか、なにをやるかなんかは誰にも想像はつかないけれど、多分ぼくは一生表現の世界に居続けるんだと思います。
そして少しでもやさしい世界が広がるようにぼくの命を使っていきたいと思います。
最後まで見ていただきありがとうございます。
習慣について。
習慣とは
特別に意識することなくやることが日々の生活の一部に溶け込むこと。
または無意識レベルにまで意識してできるようになったこと。
目次
習慣の例
・モーニングルーティン
毎日のように朝起きてからやること。
顔を洗う、お風呂に入る、トイレに行く、ご飯を食べる、歯を磨く、メイクをするなどなど。
・学校または仕事先での習慣
〇〇時に登校もしくは出勤する。
〇〇時に下校もしくは退勤する。
日々の固定化された業務。
・家に帰ってから寝るまでのルーティン
手を洗う、うがいをする、トイレに行く、ご飯を食べる、お風呂に入る、歯を磨く、メイクを落とすなどなど。
・お風呂でのルーティン
湯船に浸かる前にかかり湯をする。
湯船に浸かっている時間。
頭、顔、身体を洗う順番。
シャンプーやボディソープの使う量。
・その他
自分の成長のために日々続けること。
お部屋の掃除。
本を読む。
音楽を聴く。
映画を観る。
テレビを観る。
勉強をする。
SNSを見る。
スマホを見る。
YouTubeを観る。
お酒を飲む。
タバコを吸う。
などなど。。。
ポジティブ習慣とネガティブ習慣
習慣には大きく分けてポジティブな習慣とネガティブな習慣があります。
ポジティブ習慣は続けて習慣化すると成長に繋がったり、健康促進など良い効果が期待できます。
反対にネガティブ習慣が習慣化すると心も体も不健康になってしまうことが多いです。
・ポジティブ習慣
『自分を健康に保つ習慣 』
・人の良いところを見ようとする。
・適度に休み、心身ともにリフレッシュする時間を設けること。
・自分の状態を把握するために内観すること。
などなど。。。
・ネガティブ習慣
『続けると自分が不健康になってしまう習慣』
・人の悪いところを見たり、人の悪口、愚痴を言うこと。
・自分のキャパシティ以上のことをやろうとすること。
・タバコ、お酒、スマホなど依存性の高いものを利用すること。
などなど。。。
ポジティブ習慣もネガティブ習慣も挙げればキリがないのですが、一見ポジティブのように見えても習慣化するとポジティブでなくなる場合もありますので、気をつけましょう。
習慣化することによる変化
・省エネ効果
習慣化すると、習慣化する前に比べるとそのことに対するエネルギー消費が少なくなります。
考える前に身体が動いてしまうので、一旦考えるという作業がかなり省くことができます。
なので、毎日欠かさずやるようなことは習慣化した方が無駄なエネルギーを使わなくて済むのです。
・習慣を変えること
習慣化することも大切ですが、それと同じぐらい大切なのが、習慣を変えること。
今まで習慣化してきたことを整理整頓して、いらない習慣はやめる努力をし、新しい習慣を組み込むことで違う自分が動き出します。
まとめ
自分の習慣を観察し、整理整頓をし、いらない習慣はやめ、新しい習慣を取り入れる、取り入れた習慣を継続し、習慣化させる。
これがぼくなりに習慣について考えた結果、自分に合ってる方法かなと思います。
みなさんも自分に合った習慣化の方法を見つけてみてくださいね。
ずっと前から自分は自分だったんだ。
元号が変わるタイミング辺りから体調も含めてわりと嵐の大海原状態でした。
嵐の中って前も後ろも右も左も四方八方が見え辛くなるよね。
周りが見えないと不安になって、自分が今いる位置すらもわからなくなって。
ようやく風も収まり、雨も上がり、波も穏やかになり、船が安定してきて、視界も開けてきました。
自分ではない何者かになろうとして、勝手に焦ったり不安になったりなかなか忙しない航海だけど自分ではない何者かになろうとすることを辞めた途端に、この焦りも不安もなくなったんだよね。
今は少しだけ自信を持って言える。
生まれた時からずっと自分は自分だったんだ。
ほかの誰かになろうとしなくてもいいし、仮にほかの誰かになろうとしたとしてもそれさえも自分なんだ。
この身体や心はほかの誰にもコントロールできないしそれが自分自身なんだということ。
空は快晴。
ふわっと吹き抜ける春の風が心地よい。
もうすぐ暑い夏が近づいてくる。
さあ、また旅の準備をしよう。
遊び心とゆるめる心。
昨晩は友人と電話をしていて気づかされることがたくさんあった。
色々と思い悩んでしまってなかなか行動に移せないぼくはパパッと行動に移せて次々と色んなことをやってのけて前に前に進んでいく人がすごいなと思うし、到底真似のできることではないなと思っていた。
でも、そんな人でも思い悩むことはあるし、くじけそうになることもあるのだということ。
もちろんそうなんだけど、自分だけではないということが聞けて本当に良かった。
悩みは人それぞれだからきっと彼の悩みはぼくにとっては大したことではないかもしれないし、ぼくの悩みは彼にとっては大したことではないかもしれない。
問題はそこではなくて、そういった感情になるんだということが共有できたことが嬉しかった。
今年に入って元旦から始めている一日一作品と一日一文字という毎日投稿は数で言うと両方ともいつの間にか100作品を超えていた。
これがすごいことなのかどうかはぼくにはわからないけど、彼はすごいことだと言ってくれた。
アーティストとしての自分に疑問を持っていたぼくに対して、「色波さんはアーティストですよ」って言ってくれた。
正直その言葉をもらっても自分自身がアーティストだと胸張って言えるわけではないけれど、その真っ直ぐな言葉が胸に刺さった。
表現者としての自分に自信を失いかけていたぼくはまたもや周りに救われたのだ。
勝手に自分の中でアーティストとは表現者とはこうでなくてはいけないとかこうあらないといけないといった幻想を抱いてしまっていたのかもしれない。
自分が表現したいことは言葉。
それだけは高校生の時から揺るがない。
なんだ、全然ブレていないじゃないか。
あまり考えすぎず、ゆるめるところはゆるめて、遊び心を持って。
ぼくが本当にやりたいことをやるために必要なことは継続してやっていこうと思う。