いろはのことのは。

対話を通して言葉を贈る〝言葉贈り人〟として活動しています。忍者としても密かに活動中。

君の膵臓をたべたい。

映画『君の膵臓をたべたい』を観てきました。


観るって決めるまで名前は聞いていたけど全くどんな映画かは知りませんでした。


ところがどっこい、上映中に2度も号泣してしまいました。


原作を読んだこともなければ、内容も知らなかったので完全に不意を突かれた感じで気付けば号泣していました。


今、生と死について考えているところだったからリンクして涙に繋がったのかなと思っています。


自分ならあんなに強く生きれるだろうか、でも強く生きたいと、深く考えさせられた作品です。


まだ観られていない方は是非観に行ってみてください。

時代と時代の間を生きるものとして。

このなんでも挑戦することが出来る時代に環境に感謝をしつつ。

 

 

今時代は、価値観は、暮らしは、考え方は驚くほど速く変化をしている。

 

 

数年前、数十年前には考えられなかったことが現実に出来ている。

 

 

文明の進化。

それによって得たものもあれば忘れられていくものもある。

 

 

今無いものにしがみついても仕方がないし、あるものに感謝しつつ、時にはこの便利なものはどういった経緯で出来たのかなとか想いを馳せるのが僕は好きだ。

 

 

例えば今こうしてブログを書いているわけだが、昔は自分の想いを形にして伝えるだけでもかなりの労力が必要で、伝わらないことも多かった。

 

 

今使ってるスマホやパソコンなんかも少し前の人からしたらまるで魔法のようなものではないかな?

手紙を書いて届けるだけでもかなりの労力と時間を要していた。

それが今なら一瞬で相手に届くし、なんなら相手が読んだかどうかまで教えてくれる。

 

 

こうして今自分の身の周りにあるものの背景を考えながら過ごすと、本当に自然と感謝が湧いてくるし、同時に人間って凄いなぁって改めて思わされる。(驕りではなく)

 

 

そして、思考はさらなる深みへと進み。

この便利なものを支えてるのはなんだろう?

やっぱり人間なんだよね。

人間の手によって点検や修理が行われて今日も電車は走ってるし、電話は繋がるし、ネットも見れる。

 

 

僕たちは何でもかんでも簡単にピッって出来てると思いがちだけど、やっぱりそこにはたくさんの人の労力や時間があって成り立ってるんだよね。

そこを忘れてはいけないと思うんだ。

 

 

時代は変われども人が人のために動いているってことには変わりはないはずなんだ。

それが働くってことなのかなと思うし、それが美しいと思うんだ。

 

 

これからどんどん働き方は変わっていくと思うけど、この想いだけはどうか消えないでほしい。

そう切に願うのであります。

 

 

時代と時代の間を生きるものとして。

 

 

今日も命の貴重な時間を使って最後まで読んでいただきまして本当にありがとうございます!

内側から湧き上がるもの。

沸々と湧き上がる感情。

その一つ一つを丁寧にしっかり汲み取ってあげる。

 

 

喜怒哀楽。

どんな感情の時も蔑ろにするんじゃなく。

じっくり聞いてあげる。

対話をする。

 

 

新しいことにチャレンジする時もその気持ちを大切にしてあげる。

きちんと声に出して文字に起こして。

その時その時できっと違うから、自分のペースで良いからね。

対話をする。

 

 

やっぱり希望に満ち溢れた姿は輝いて見える。

さて、どう生きるか。

どう在るか。

 

 

僕は僕でしかないし、他の誰かにはなれない。

他の誰かにはなれないから、みんなの輝きが嬉しくて、楽しくて、有り難くて、最高なんだ。

 

 

僕は僕なりに生くよ。

内側から湧き上がるものをこの世界にぶち撒けてやる。

 

 

今日も命の貴重な時間を使って最後まで読んでいただきまして本当にありがとうございます!

黒から広がる世界、白から広がる世界。

きっと僕の中には色んな色の自分がいて、その時その時で色が違う。

 

 

極端に真っ黒の時もあるし、極端に真っ白の時もある。

赤色の時もあるし、青色の時もあるし、緑色の時もあるし、黄色の時もあるし、橙色の時もあるし、茶色の時もあるし、灰色の時もあるし、黄土色の時もあるし、エトセトラ。

 

 

それが感情ってものなのかもしれないし、精神状態ってものなのかもしれないし、体調なのかもしれない。

人間は色が見えるから顔色を伺うとかいう言葉もあるのかもしれない。

体調が悪い時に顔色が悪いよとか言うのかもしれない。

血色が良いとか言うのかもしれない。

 

 

今まで作品を作る時、白から作ることばかり考えていた。

鮮やかな色を散りばめて、これが創作なんだと思っていた。

だから暗い色を使いたくなかったし、白をなるべく残さないように作っていた。

 

 

ある日、作れなくなった僕は思い悩んだ。

どうして?なんで?出てこない。

何も書けない作れない。

なんで?

なんで?

なんで?

 

 

あんなに楽しかった、あんなに好きだった創作活動がやればやるほど辛くなった。

やればやるほど嫌いになっていった。

明るい色を出し続けた。

出して出して出し続けた。

 

 

そして、自分の内側と向き合うのをやめ、外側に明るさを求め続けた。

外側の世界は確かに明るかった。

明るくて眩しくて輝いている。

だけど、僕はもっと苦しくなった。

 

 

白にもなれず、鮮やかな色にもなれず、どんどんどんどん自分が黒くなっていった。

黒くなって、重くなって、まるで鉛のように、動けなくなってしまった。

 

 

動けなくなって、目の前が真っ暗になって、息が出来なくて、もがいて、もがいて、もがいて、もっと苦しくなった。

 

 

作ることをやめた。

あんなに好きだった、楽しかった創作活動が自分を縛り付けるものになってしまって、自分を傷つけるものになってしまって、悲しくて苦しくて悔しくて泣いた。

自分で自分に制限をかけて、自分で自分を傷つけていたんだけど、それに気付くのはもう少ししてから。。

 

 

それからしばらくして、ひょんなことからとてもキラキラ輝いている人達に出会うことが出来た。

その人達と一緒にいるだけで自分が自分にかけていた制限や自分で自分を傷つけていたことが癒えていった。

 

 

今でも作れなくなったり、動けなくなったりすることもあるけれど、自分次第で変わるんやということも気付いたし、周りに助けられて生きてきたし、今も生きているんだということにも気付けたし、白から作る世界だけじゃないってことにも気付けた。

明るい色だけじゃなくて暗い色の良さにも気付けた。

 

 

色んな色があって良いし、どんな色にも良い悪いは無い。

色んな色があるから作品が作られるし、色んな人がいるから世界は作られる。

 

 

今日も命の貴重な時間を使って最後まで読んでいただきまして本当にありがとうございます!

 

何になるかより、どう在るか。

男の子の子供の頃になりたい職業のランキングに必ず入っているプロ野球選手やサッカー選手。

子供の頃になりたかった職業に就いている人はほんの一握りなのは周知の事実だけど、なれなかったとしてもみんな違う場所で働いているし輝いている。

 

 

プロスポーツ選手のような華々しい舞台だと可視化されやすいから憧れの的になる。

でも超一流の選手ってプレイだけではなく、その他もすごく整ってると思う。

見習わなければいけないのはむしろ心の部分なのではないかと思う。

 

 

一般的には目立たない職業の方にも目立たないだけで見習わなければいけないところはいっぱいあると思うんだ。

だから出会う人出会う人のそういったところを見つけて気付きや学びにしていこうと心掛けている。

 

 

こんな職業やからと偏見を持つんじゃなくてその人自身を見たいし、その人自身を知りたい。

 

 

たとえ大企業に勤めていてもしょうもないことで捕まる人もいてるし、政治家や警察官でも犯罪に手を染めることが明るみになって来ている時代だからこそ余計に思う。

 

 

色んな業種の人が集まって話したりする機会を作りたいなぁ。

僕はほとんど聞くだけになってしまうけれど、それでも良いから作りたい。

作ろう。

 

 

今日も命の貴重な時間を使って最後まで読んでいただきましてありがとうございます!

繋がり。

人は繋がりの中に生きているんやなと最近実感する。

 

 

過去、現在、未来の繋がり。

人と人との繋がり。

自分も繋がり。

あなたも繋がり。

食べるものも繋がり。

飲むものも繋がり。

乗り物も繋がり。

着る物も繋がり。

住む家も繋がり。

読む本も繋がり。

聴く音楽も繋がり。

絵も繋がり。

ダンスも繋がり。

勉強も繋がり。

学校も繋がり。

会社も繋がり。

 

 

まさにありとあらゆるものが繋がり。

 

 

この繋がりを大切に生きていきたいと思う。

 

 

繋がりに縛られるのではなく、繋がりに感謝して歩いて行く。

それがまた繋がりになる。

そう信じて歩いて行く。

 

 

 

今日も命の貴重な時間を使って最後まで読んでいただきましてありがとうございます!

意味。

全てのことに意味はない。

全てのものに意味はない。

 

 

全てのことに意味はある。

全てのものに意味はある。

 

 

最近こんな感覚で日々過ごす毎日。

 

 

意味はないようである。

意味はあるようでない。

 

 

例えば同じことが起こっても人によって捉え方が変わるように、Aさんには〝ある〟でBさんには〝ない〟のだ。

 

 

今まで自分が正解だと常識だと信じていたものを信じない人もいるし、その逆もある。

 

 

意味は人間がその〝もの〟や〝こと〟に抱いた感想や感情によって作られているのではないかと思う。

 

 

意味はないんだからどう意味付けしたって良いしどうせ意味付けするなら大切な人が笑顔でいて欲しいし自分も笑顔でいたい。

むしろ意味付けなんてしなくても良い。 

 

 

無は有だし、有は無だし。

創造と破壊は表裏一体だし。

 

 

何にもない世界を生きていこうと思う。

そこから生まれる感情でまた意味は作られていく。

 

 

 

今日も命の貴重な時間を使って最後まで読んでいただきましてありがとうございます!