いろはのことのは。

【言葉贈り人】夢や目標、悩んでることなどの対話を通して筆文字で言葉を贈ります/【ライブアートオークション】運営スタッフ/【忍者】伊賀流手裏剣打ち選手権大会第3回〜第8回、第10回本戦出場

死生観。

どうも!
忍者系表現者として心理学、哲学、脳科学神経科学、外国語を学びながら1対1の対話を通して筆文字で言葉を贈る〝言葉贈り人〟の活動をしている色波です!

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今日は死生観について書こうと思います。

 

 

死生観と書くととても堅い感じに聞こえますが、今の僕の日々感じて考えている生と死についてを書きます。

 

 

何人かの人には200歳まで生きる!とか言うてる僕ですが、先日30歳になりまして、もう7分の1以上生きてることに驚愕したのと同時にこの30年の間に大切な人の死とも出会ってきました。

 

 

人の死は悲しいし寂しいです。

昨今のニュースでは毎日のように人の死の報道がされています。

それが病死、事故死、他殺、自殺であったとしても人の死です。

近しい人の死を受け入れられない人がこの世にはたくさんいてるのかと思うとなんとも言えない気持ちになります。

 

 

ここ数年、生きるとは何かということについて向き合ってきました。

人間は何の為に生まれて何の為に生き、そして死んでいくのか。

死んだ後はどうなるのか。

そんなことばかり考えていました。

 

 

この比較的平和な時代の平和な国に生まれて生きている自分は何の為に生き、生きるとは何なのか?死ぬって何だろう?死んだ後はどうなるのかな?

これはネガティブな考えではなく純粋な疑問と興味です。

 

 

人はどういう時に生きてると感じるのだろう?

まずは人がどういう時に生きてると感じるのか。

僕は短い間ですが、大学生の頃に人となるべく会わずに暮らしてた時があります。

最初のうちは良かったです。

でも次第に芽生える感覚がありました。

 

 

あれ?今僕は生きてる?

 

 

もちろん生きてました。

身体は健康ですし、ご飯も食べるし、学校にもそれなりに行くし、バイトにも行ってたしトイレも行くし、お風呂も入るし、歯も磨く。

でも生きてるという実感がありませんでした。

 

 

この時人と対話をするということ、人と同じ空間を共有すること、人と繋がる喜びをほとんど感じていませんでした。

 

 

人は、、と言うと大袈裟になっちゃうので、僕が生きてると感じる時、、それは人と対話をする時、人と同じ空間を共有する時、自分も笑顔で相手も笑顔になる時。

これが大きな生きてると感じる時です。

 

 

日常的に当たり前だと思ってたことが有り難いことなんだと気付いた時。

この意識の変化は簡単なようで簡単でない。

でも気付けばスルッと意識は変わっていく。

そして無意識の領域にまで入っていくと、さらに生きてると感じることが出来ると思うのです。

 

 

この命を何の為に誰の為にどう使っていくか、、

これからの人生が楽しみです!

 

 

今日も命の貴重な時間を使って最後まで読んでいただきましてありがとうございます!