物事の奥を感じる。-余白を作った先にあるもの-
同じ時間に起きて同じ電車の同じ車両に乗って同じ場所に向かう。
比較的色んな所で働いているぼくも出勤時間というものがある以上ルーティン化しています。
同じ時間に起きて同じ電車の同じ車両に乗って同じ場所に向かっていると、大体朝は同じ人と顔を合わせます。
スーツを着たあのサラリーマンも、制服を着た高校生も、専門書を読んでいる専門学生か大学生も、他にもたくさん。
あの人もあの人もみんな同じルーティンで毎日動いてるんだなと感じる瞬間です。
物事には必ず物語があります。
歴史があります。
ストーリーがあります。
ぼくたちは日常を生活していると同時に歴史を歩んでいるのです。
毎日何気なく見たり聞いたり触ったり食べたり飲んだり使ったり捨てたり感じたりしている物には必ず物語があります。
同じような毎日を過ごしていると忘れてしまうのですが、ちょっとでも違うことが起こったりするような刺激があると、ふと立ち止まり考え感じ思い出します。
ああ、全てのものには物語があるんだと。
そして、当たり前だと思っていたことは当たり前ではなかったんだと。
最近のぼくは、余白を作ることの大切さについて日々感じ、日々どうしたら実践的に活用できるかなと考えています。
そして日常に活用できるのならどうしたら多くの人に伝えられ、広められるかも真剣に考えたりたまに考えなかったりしています。笑
余白を作ること。
フリーターとして仕事場で働いているぼくは休みを比較的自由に取ることができます。
そして、表現活動も最近ではちょこちょこしておりますのでそこにも当てはめて考えています。
一見繋がらない一般的な仕事とアート、あるいは日常生活とアート。
そしてここに日本文化の侘び・寂び、禅、デンマーク文化のヒュッゲ、そしてみなひょの代表おだっちから教えてもらったチル。
これらに共通することは余白を作ること、不完全なものに美しさを感じる心。
この忙しない日本の世の中において、余白を作ることを意識して暮らしていくこと。
この余白が生み出すものとは。
ぼくの中では余白を作ることは第1段階。
余白を作ることによって生まれるものは余裕、ゆとり。
広い視野、柔軟な発想、柔軟な心。
そして第2段階の物事の奥を感じるに繋がると感じています。
目に見えていることだけを信じ、目に見えているものに囚われないで、その奥にある物語を感じられる生き方をしていきたいと思っています。
どうせ死ぬなら。
どうせ死ぬならという曲があったり結構生と死を歌ってるところにリンクしたのかもしれないです。
実は何年か前までは死というものに対して現実味をあまり感じていなかったです。
今30代に突入して東日本大地震という大変大きな天災、他にもたくさんの自然災害、日々起きる事故や事件、大切な人や大切な存在の死を目の当たりにして死というものに現実味を感じだしました。
そう、人は必ず死ぬのです。
確実に死に向かっているという事実を受け入れつつあります。
そして残念なことに人はいつ死ぬのか予測ができないのです。
1秒後に死ぬかもしれないし、あと100年後に死ぬかもしれないのです。
だからこそ目の前の人を大切にしたいし、今この瞬間を大切にしたいって思えるのかなと思います。
どうせ死ぬなら毎日を楽しく過ごしたいし、好きな人と面白いことをして生きたいし、なるべくたくさん笑っていたいしそばにいる人と笑い合いたい。
そして死ぬときに「あー、この世界は面白かった!」と言って笑って死にたい。
そんなことを最近は考えているんですよね。
生きることに精一杯になりすぎて逆に苦しくなるぐらいなら、どうせいつかは死ぬんだから死ぬときにどんな感じで死にたいかを考えて生きていきたい。
たとえ思い通りにならなかったとしても命の終わりを感じながら生きるって大切なことなんだと思う。
どうせ死ぬんだからこの命を目一杯楽しみたい。
この命を使ってこの世界でおもしろがって生きる。
この想いも絶対に1人では辿り着けなかったこと。
たくさんの人に気付かされて今に至る。
どうせ死ぬならこの命尽きるまでこの世界を楽しむ!
伝えたい感謝の気持ち。
普段日常生活をしていると必ずと言っていいほど利用するもの。
挙げればきりがないけれど、例えば電車。
通勤通学、プライベートでもお出かけする時、友達と会うために、買い物に行くために、少し遠くに出かけるために、旅する時、、などなど。
さまざまな場面で利用することがある。
そんな電車を運行するために働いている方々に日頃の感謝を伝えるにはどうすればいいのかな。
お給料として反映されたら嬉しいんだろうけど、どれだけ利用してもぼくがお給料を上げられるわけではないし。。
いつもありがとうございますって一人一人に伝えることしかできないのかなぁ。
駅員さんには伝えられるけど、直接接することができない人には伝えられないよね。
見えないところで点検したり作業をしたりして毎日毎日電車が安全に運行できるように働いている方々に感謝の気持ちを伝えるにはどうしたらいいのだろう。
電車だけに限らず、あらゆる仕事、たくさんの人がいるからこそ僕たちはいつも通りの生活ができる。
その人たち全員と接することはできないし話すこともできない。
でも感謝の気持ちを伝えたい。
どうしたらいいのだろう。
何か良い案があれば教えていただきたいです。
一緒に考えてください。
よろしくお願いします。
表現の世界。
お久しブリーフ。。。
失礼しました笑
お久しぶりです!
色波です。
140文字の魅力に取り憑かれてしまい、ブログをなかなか書けずにいました。
近況としましては、即興書家の中村ひろじさんにヒントをいただき2019年1月1日から一日一作品という筆文字で書いた作品をTwitter、Instagram、Facebookに毎日UPしています。
1月21日からは一日一文字というこれまた筆文字で書いた一文字だけの作品も毎日UPしています。
どちらの取り組みも自分にとっては新鮮で楽しくて、それでいて身になるものと感じています。
そして、ありがたいことに作品に対する評価や感想もいただけています。
毎日続けること。
これは自分にとってはかなりの課題でありまして、継続することの大切さ、そして継続と同時に作品をより良いものにしていきたいということ。
最近はこんなことを考えています。
一般的に表現活動と言われている世界。
画家、ミュージシャン、役者、書家などなど。
たくさんの表現方法があり、どの世界のどの表現も素晴らしいと思っています。
ぼく自身は高校2年生のころから趣味で作詞を始めたんですが、書いたものを友達に見てもらって感想をあーだこーだ言ってもらったりするのが好きでした。
その流れから音楽の世界に入ることになり、作詞をしたり歌を歌ったりしていました。
色々あって音楽の世界からは離れてしまいましたが、今でも歌うことは好きですし、またステージに立ちたいっていう気持ちもあります。
音楽の世界から離れてからしばらくは表現の世界から距離を置き、自分が何をしたいのか、何に向いているのか、就いた仕事も長続きせず、自分の生き方や在り方に色々悩んでいました。
2016年の秋頃に出会ったあいぼんさんや弘さんやつよぽんさん達に筆文字という手段を教えていただき、もう一度表現の世界に引き戻していただきました。
その頃から表現というものは何もアートの世界だけではないと思うようになりました。
2017年の7月に『みんな表現者』というオンラインサロンに出会ったことで、その考えがさらに加速しました。
代表のおだっちとは最近知り合ったとは思えないぐらいの居心地の良さでまるで小学校の時の友達みたいに遊べる貴重な関係です。
仕事場でも仕事場以外でも出会う人出会う人が素敵すぎて本当に毎日毎日有難いなぁ楽しいなぁ嬉しいなぁ幸せだなぁと感じられるようになりました。
数年前までは何も見えなかったぼくですが、今では表現の世界で生きていくって最近は思っています。
どんなに離れようと思って離れても結局表現の世界に戻ってきて、そこに生きているという感覚を持てているし、そこに幸せを感じているのだからどんな形でも表現の世界で生きていきます。
表現の方法は変わっても、表現の魂は変わりません。
これからもこんな色波をよろしくお願い致します。
やることやらないことのフォーカス。
お久しぶりです。
色波です。
久しぶりにブログを書こうと思えたので書いてみます。
やることやらないことを決めるのって大切だということは巷ではよく言われていますね。
ぼくは少し前までやることを決める以上にやらないことを決めることが大切なんだと思っていました。
あれもやらないでおこう、これはやらなくてもいいかな、、
という風にどんどんやらないことを決めていったんです。
初めのうちはやらないことを決めて動くのでスッキリするのですが、やらないことに意識を向けすぎてやることに集中できない、、
みたいなことになりました。
なんでや、、
やらないことを決めてるのになんでやることに集中できないんだ、、
という感じで不思議な感覚になっていました。
そこでふと思ったのが、、
やることとやらないことを決めるのは大切。
でもやらないことに意識を向けすぎるとやらないことにフォーカスを合わせてしまうので、脳はやることよりもやらないことに集中してしまう。
脳は否定形を認識できないんです。
なのでフォーカスすべきは、やることorやりたいことなのです。
やることorやりたいことにフォーカスを合わせて生きていると自ずとやらないことorやりたくないことが出てきます。
やることに集中することによるやらないことの自然押し出し方式でやらないことを押し出していけば良いのか!と思うようになりました。
大切なのはどこにフォーカスを合わせるか。
やることorやりたいことをやっていると自ずとやらないことorやりたくないことが増えてきます。
何をやって生きたいか、どんなところで生きたいか、どんな人と生きたいか。
フォーカスを合わせて生きていきたいと思います。
習慣と不安。
人は誰しも不安な気持ちになることってあると思う。
最近ぼくは〝習慣〟について考えを巡らせることが多いんだけど、そこで少し気づいたことがあるので、ここに残しておこうと思います。
ぼくたちはそれぞれの毎日をそれぞれが生きている。
毎日というものは大小さまざまな〝習慣〟で出来ているという風にも言えると思う。
朝起きてから夜寝るまでの間に意識しなくても出来ること。
それが〝習慣〟なのかなと考えています。
そして人という生き物はなるべく変わらないことを好む性質があって、普段と違うことをする時にストレスが生じる。
それが不安と言われるものに繋がる。
なので、〝習慣〟となったものを変えることはとてもエネルギーがいることだし、ストレスがかかるものになる可能性が高い。
普段と違うことをすると不安や緊張に繋がる。
だからなるべく変えたくない。
昨日家までの帰り道にこの2つがリンクしてるということに気付いて、今までモヤモヤしていたものがスッキリしました。
習慣化していることってほとんど無意識に行なっていることだから自分でも何が習慣になっているか気付かない場合が多い。
習慣を変えるには、まずは意識する必要がある。
あることを習慣化するということはあることを習慣化しないことにも繋がるからそこでまた不安が生まれる可能性はあるけれど、仕組みに納得できれば少しは心が楽な気がする。
何をするのかしないのか習慣化すること
習慣化に伴う不安はほとんど起こるということ
自分の身をもって色々と実験していきたいと思います。
日常に溢れる色とりどりの宝物をさがして生きる
色波
習慣。
習慣がその人を作り上げていくのだとすると、習慣を変えることで人は変わることができる。
習慣といっても様々な習慣がある。
寝る時間、起きる時間。
食べる物、飲む物。
住む場所。
着る服。
訪れる場所。
仕事や学校。
出会う人。
思考。
などなど
挙げればキリがないぐらい僕たちは習慣で生きている。
習慣化されていることは無意識のうちに行なっていることが多いので、よく言われている引き寄せの法則なんかはここに繋がるのかなと思う。
習慣化するにはまずは意識的にそれを行うことが必要で、徐々に習慣化されて無意識にやってしまうところまで落とし込む。
そして大切なのは、やることの習慣化と同じぐらいやらないことの習慣化も必要だということ。
やらないことを決めることでやることが磨かれていく。
これが昨今言われている断捨離なんかに繋がるのかなと思う。
習慣化は今この瞬間から自分で決めることが出来る。
何をするのか何をしないのか。
それを決めて意識してやることで見えてくる世界は変わると信じている。
どんな自分で在りたいのか
習慣が大きく関わっているということを意識するだけでも未来の選択肢は増える気がしている。